Since 1975:環境、人権、アート、ノンフィクションなどの書籍を出版。発行点数520点。地域の相互扶助を促す「月刊マイ奈良」創刊37年480号

新なにわ塾叢書①

税込価格:1,296円

新なにわ塾叢書
その他の本

「プガジャ」の時代

講話者:森晴樹、村上知彦、春岡勇二、ガンジー石原、山口由美子、小堀純

編著者:大阪府立文化情報センター

    +新なにわ塾叢書企画委員会(橋爪紳也、江弘毅、栗本智代、音田昌子)

判形/頁:新書判ソフトカバー /420頁(本文267頁、脚注236点、歴史70頁、総目次15頁)

ブックデザイン:鈴木一誌+藤田美咲

ISBN:9784833907019

●関連情報

・7/1-------

日本経済新聞記事@関西欄BOOKクリップ に掲載。

 

・7/13-----

日本経済新聞記事読書欄大阪の文化考えるシリーズに掲載。

 

・7/17-----

読売新聞記事読書欄新刊からに掲載。

 

・7/23-----

月刊サヴィ9月号BOOK欄に掲載。

 

・7/29-----

週刊朝日8/8号新書の穴に掲載。

 

・7/30-----

月刊大阪人9月号BOOKREVIEW今月お薦めの1冊 に掲載。

 

・8/1-------

ファイブエル8月号上方ええもん倶楽部に掲載。

 

・8/15------

本の雑誌9月号坪内祐三の読書日記に掲載。

 

・8/23------

あまから手帖9月号新着BOOKSに掲載。

 

・9/5--------

SPA!9月9日号 Book&Comicに掲載。

第1章 「プガジャ」70年代の情報誌事情

森晴樹(もり・はるき)

1949年大阪府出身。「プガジャ」第4代編集長。 70年代後半から80年代初めに、個性あふれる誌面を展開し、当時の学生たちから強く支持される。 阪急ファイブ内オレンジルームで上映会を企画するなど、 関西の自主映画作家を支援した。 現在はフリーライター&編集者、クイズ&パズル制作者。

第1章目次

 

・情報誌の草分けだった「プガジャ」

・タダで映画を見られると思って

・どんな仕事をしていたか

・情報に対する考え方が今とは違っていた

・アクティブだった当時の若者たち

・自主上映も多かった

・「プガジャ」の自主企画

・井筒監督と『ガキ帝国』のころ

・映画にも出た森晴樹編集長

・メッセージ性が必要とされない時代に

・「プガジャ」といしいひさいち

・「プガジャ」の果たした役割

・政治運動との距離

・「プガジャ」を特徴づけたもの

第2章 「プガジャ」変革の時、サイズ変更の事情

村上知彦(むらかみ・ともひこ)

1951年兵庫県出身。「プガジャ」第5代編集長。マンガ雑誌『漫金超』などを刊行中の 株式会社チャンネルゼロより出向の形で編集長に。在任時に、B6サイズで親しまれた「プガジャ」のB5サイズへの変更を断行。 新たな時代を築いた。現在はマンガ評論家、大学講師。

第2章目次

 

・サイズ変更時の編集長

・「プガジャ」との関わり

・編集長としてやろうとしたこと

・B6からB5へ、なぜ変えたのか

・いしいひさいちとの出会い

・サイズ変更による影響と反響

・大物続々登場の誌面

・未来につながる「プガジャ」のおもしろさ

・中島らものことなど

・人と人との<つながり>をつくった「プガジャ」

 

第3章 「プガジャ」で過ごした日々。80年代の空気

春岡勇二( はるおか・ゆうじ)

1958年島根県出身。 B6サイズ最後の「プガジャ」から編集に参加。 映画を担当し、最後の2年間は副編集長を兼任する。 現在は映画評論家、大学講師。

 

 ガンジー石原( がんじー・いしはら)

1959年兵庫県出身。 83年4月号より「プガジャ」編集に携わる。 演芸・寄席欄のほか、マンガ家・川崎ゆきおの連載、 河内家菊水丸のカセットブック企画なども担当した。 編集部在籍中から「ガンジー石原」の名前で 舞台に立つことも。本名は石原基久。 現在はライター、大学講師。自身の事務所FALLの名義で、 イベントの企画制作、レーベル運営も行っている。

第3章目次

 

・僕たちが入社した八〇年代前半の「プガジャ」

・B6サイズ最後の号に間に合った

 ・二十代にしかできない、しかしいちばん楽しい仕事

・ひとつの時代が終る予感

・他の情報誌とは違っていた

・さまざまなものが変わっていった

・吉本興業とトラブった!

・女性が強かった編集部

・音楽シーンにも変化が

・継承されている「プガジャ」スピリット

・劇団員でありつつ編集部員

・雀三郎製アルカリ落語の会

・フォークからアメリカ西海岸へ

第4章 「プガジャ」創刊時から、70年代の空気

山口由美子( やまぐち・ゆみこ)

大阪府出身。「プガジャ」創立メンバーの一人で、 第3代の、そして唯一の女性編集長。 各方面から高い評価を受けた 70年代後半の「プガジャ」を牽引した。 編集長就任以前には、誌面のアートディレクションから 表紙のイラストまで手がけた経験を持つ。 現在はフリー編集者。

第4章目次

 

・もっともっと会社じゃなかった

・動き始めた渦のど真ん中にいた

・時代のすべてがロックだった

・「プガジャ」のイメージは<未完成>

・続けてても違う「プガジャ」になっただけ

第5章 「プガジャ」最後の苦闘

小堀純( こぼり・じゅん)

1953年愛知県出身。「プガジャ」最後の編集長。『名古屋プレイガイドジャーナル』から、請われて経営母体の違う 大阪「プガジャ」の編集長となり、再建に尽力する。 現在はフリー編集者であると同時に、 関西演劇シーンの相談役として活躍。

第5章目次

 

・名古屋の『プレイガイドジャーナル』に入る

・とにかく貧乏だった

・北村想の「寿歌」と『不・思・議・想・時・記』

・名古屋の「プガジャ」から、大阪の「プガジャ」へ

・のんきでルーズだった大阪「プガジャ」

・意識改革、経営改革に取り組む

・編集長になり、中島らもに出会う

・吉本の情報拒否問題で学んだこと

・「プガジャ」で出会ったイラストレーターたち

・「もうあかんねん」と言われて

・「身売りするとはこういうことや」

・「プガジャ」を本当の出版社にしたかった

・性に合っていた大阪

・プロの仕事はできていた

資料編

資料編目次

 

・「プガジャ」発刊の辞

・「プガジャ」最後の編集後記

・情報誌年表

・プレイガイドジャーナル記事索引・抜粋

・プレイガイドジャーナルの歩み

かつて、大阪にプガジャという雑誌があった。

日本で最初の情報誌といわれ、風評なので真偽のほどは定かでないが、

七〇年代には朝日ジャーナル、スゥイング・ジャーナルと並んで

三大ジャーナル誌ともいわれたという。七一年に創刊され、

八七年に、僕らがつくっていた『ぷがじゃ』は終わった。

七〇年代の関西サブ・カルチャーをリードした雑誌であり、

そこには大阪がいちばんおもしろかった時代の息吹が確かにあった。

(……「はじめに」より)

税込価格:1,296円

 

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