About BCBOOK 3ブレーンセンターの先駆性(沿革)
「どこの出版社も出さないけれど、
次の時代に残さなければならない本があるはず。
100年後も残る本を、自らの手で作り続けたい。」
1975年(昭和50年)
ブレーンセンター創業。稲田紀男(現代表)と清水信夫(現「マイ奈良」編集長)の2 人だけで出版社をスタート。「金なしコネなし学歴なし」「どこの出版社も出さないけれど、残さなければならない本がある、そういう本を出したい」
1977年(昭和52年)
タウン誌「月刊マイ奈良」。地域の相互扶助を促すタウン誌創刊をきっかけに若者との交流を通じて新事業を企画、出版、文化講座から電話相談にまで手をひろげる。
1978年(昭和53年)
公開対話セミナー開始。行政、財界、学術・文化の分野で日本を代表する知識人による対話セミナーとして、計220回、500名の講師をコーディネート。講師は岡本太郎、武満徹、唐牛健太郎など。
1979年(昭和54年)
資本金300万円で法人設立。株式会社ブレーンセンター設立。「誰からも、どこからも干渉されない、誰にもどこにも依存しない」自立自営。スタッフは2名であった。同年、東販・日販(いずれも東京本社)という2大取次と取引開始。「30年、50年経ても手渡しで読者に届ける」。同年、畑祥雄「背番号のない青春」発行。
1981年(昭和56年)
適塾の伝統を受け継ぎ、「大阪の智恵の継承」をする昭和の賢人のメッセージ、昭和の遺言書「なにわ塾叢書」(全83巻)の刊行開始。著者は建築家・村野藤吾、画家・須田剋太、住友生命会長・新井正明。樹医・山野忠彦など各界にわたる。同年、「“15歳”の痛み」を発行。NHK特集「登校拒否のカルテ」視聴者の要望に応え、チーフ・ディレクター自ら執筆。
1982年(昭和57年)
テレビ大阪「関西ビジネス最前線」制作参加。関西経済の核心に迫る人とビジネスのドキュメントとして、関西のトップ企業の代表50人を集める。同年、「日本映画講座」開始。プロデューサーは大島渚。日本映画を再発見するために、大島渚を顧問として、名作の上映と第一線の監督によるセミナーを12年間、京都で開催。日本映画監督協会と共催。講演監督には、今村昌平、大島渚、篠田正浩、鈴木清順、深作欣二、マキノ雅裕など招待監督44人など多数。この記録を「日本映画を読む」として1987年(昭和62年)に発行。同年、宗秋月「猪飼野・女・愛・うた」を発行。
1983年(昭和58年)
司馬遼太郎、梅棹忠夫、小松左京、木村重信などによる大阪府文化問題懇話会の提言をまとめた「地球時代の大阪文化」を発行。同年、「月刊ペンギンクエスチョン」創刊に参加。発行・現代企画室。編集長中西昭雄。総合プロデューサー北川フラム。幸徳秋水の「平民新聞」の発想。西日本地区の編集・販売を担当「大阪通信] を連載。(現在は休刊)宮迫千鶴、五木寛之、荒木経惟、荒木陽子等の執筆陣。
1984年(昭和59年)
人権の教科書「サラム草書」全28巻刊行開始。隣国である韓国・朝鮮のことを知るための日本で初のシリーズ。生活、歴史、あそび、音楽など子どもたちにもわかるように編集。多くの小・中学校で副読本として読まれている。同年、「韓国・朝鮮人名仮名表記字典」発行。日本で初めてのコリアン人名字典として注目される。同年、「朝鮮民族の歴史と日本」(朝鮮半島からみた初めての日本と朝鮮の歴史書)を発行。
1985年(昭和60年)
若手アーティストの作品展である「アートフロント50」を心斎橋パルコで開催。参加した50人の作家たちの素顔を描いた写真集「西風のコロンブスたち」を同時発行。鈴鹿芳康、中原浩大、中西學、大久保英治、坪田政彦、山本容子、山部泰司、吉原英里、呉本俊松、木村秀樹、椿昇、など。
1986年(昭和61年)
10代と元10代をつなぐメッセージマガジン「元気マガジン」を創刊。中島らもを招いてのシンポジウムなども開催。同年、自然の中で体験する「但馬学習農園(ジュリアパーク)」(現在の兵庫県立南但馬自然学校)開設にあたり企画参加。同年、赤ちゃんバンザイシリーズ「赤ちゃんバンザイ」、「あそぼうよ」、「生まれる」を発行。
1987年(昭和62年)
国際花と緑の博覧会「花博写真美術館」開館にあたり企画参加。ビジュアルデータベースという写真の新たな可能性を見つめる映像データベース実験パビリオン、コンセプト提案から運営まで参加。(1990年4月開館)
1988年(昭和63年)
「4・24 阪神教育闘争 民族教育を守った人々の記録」を発行。在日朝鮮人たちが民族教育を守るために闘った40年前の歴史を、当時の体験者に聞いてまとめた記録である。
1989年(平成1年)
大学別就職情報誌「京・阪・神大生のための仕事選び文庫」発行。同年、地図に無い街を知る本「釜ケ崎ストーリー」発行。
1990年(平成2年)
大学別就職情報誌「関・関・同・立ビジネスリーグ」発行。同年、日本を代表する写真家の東松照明が10数年にわたり撮り続けた作品集「さくら・桜・サクラ」発行。同時に梅田ロフトでの作品展を皮切りに全国巡回展開催。同年、FM802「BRAINCENTER NATTY JAMAICA」放送開始。レゲエにのせて「カルチャー&コミュニケーション ブレーンセンター」というサウンドロゴが広がる。
1991年(平成3年)
世界的な美術家新宮晋の日本初の作品集「Shingu 自然のリズム」刊行。同年、新宮晋の総合設計による本社ビル「風の万華鏡」を大阪市北区天満に着工。同年、「なすびのはな」を発行。若き親たちへの提言。子どもの疑問、親の悩みに答える新「共」育論を紹介。
1992年(平成4年)
写真専門ギャラリー「ブレーンセンターギャラリー」が大阪駅前第3ビルにオープン。写真と現代アートのコラボ。元永定正、山沢栄子、岩宮武二、新宮晋、荒木経惟等、招待作家は43名。(現在は閉鎖)同年、本社ビル「ブレーンセンター 風の万華鏡」竣工。アートと建築が一体化となった独創的な建物で世界的にも例がない。他分野のアーティストが建築設計を行うという日本では極めて稀な試み。世界的な美術家 新宮晋の初めての建築作品。同年、「外交官の見たニッポン」を発行。「日本通」在日外交官が語る日本。17カ国の在日外交官20人が検証する「国際孤児」日本・関西の実像を紹介。
1993年(平成5年)
毎日新聞学芸部 編「いつか見た風景」発行。著者は、太田順一・後藤正治・谷口弘行・松澤壱子・道浦母都子・若一光司。
1994年(平成6年)
「写真図書館」大阪市北区中津にグランドオープン。(現在は大阪国際メディア図書館。旧宝塚メディア図書館)写真・映像・美術・デザイン・音楽・サイエンスの専門図書館。同年、産経新聞大阪本社編集局 編『「超・関西」宣言』を発行。
1995年(平成7年)
1996 年(平成8年)
マルチメディア表現のための大学院講座・工房・シンクタンク──三つの機能をもつ学校・インターメディウム研究所(IMI)設立に参加。デザイン・WEB・建築・都市計画・出版・映像・サウンド・現代美術の学問体系を横断する、デジタル時代のバウハウス。伊藤俊治、南條史生、畑祥雄、ヤノベケンジ、奥村昭夫、椿昇、林勝彦、港千尋等の講師陣。
1997年(平成9年)
市民が出資し、劇団維新派が建築したアート映画館「シネ・ヌーヴォ」(大阪市西区九条)の運営に参加。上映映画6000本。
1998年(平成10年)
NPO・レインボーネット設立に参加。同年、関西のハードボイルドの旗手にして稀代の勝負師、黒川博行の初エッセー集「よめはんの人類学」を発行。
2000年(平成12年)
日本初の公設民営の映画館「シネ・ピピア」の設立・経営に参加。東宝発祥の地で、映画館ゼロの宝塚で開館。
2002年(平成14年)
朝日新聞社 編「17歳のころ」発行。朝日新聞大阪本社版夕刊に連載された「17歳のころ」。関西の著名人59人が、迷い、戸惑ったあの頃をつづった好評エッセー。同年、浅野潜「吶喊映画記者 持続と信義の思想」を発行。
2003年(平成15年)
2000年からスタートした新宮晋の「ウィンドキャラバン」自然の中展覧会を行いながら世界を回るプロジェクト。その報告書「Wind Caravan」を発行。世界的な内容である為、英文版のみとし、日本販売用として付録で日本語訳を付けた。
2004 年(平成16 年)
プロジェクト総数1万件突破。CSR・IR 企画制作本数2900 本(IR・環境社会報告書・CSRレポート等のコンサルテーション)。同年、「コミュニティシネマ大阪」設立に参加。「大阪アジアン映画祭」を2014年まで主催。都市、村を問わずどこでも映画の文化の提供を。
2006年(平成18年)
シネ・ヌーヴォ 編「RESPECT 田中徳三」を発行。同年、映画新聞編 シネ・ヌーヴォ発行「映画新聞・合本3」を発売。
2007年(平成19年)
取材12年、執筆6年。著者・編者はじめ写真・絵図・装丁など一切を岸和田だんじり祭の当事者(泉田祐志、萬屋誠司、江弘毅、藪内博)が取り仕切った岸和田のだんじり本「岸和田だんじり讀本」を発行。
2008年(平成20年)
適塾や懐徳堂、泊園書院など町人の手でつくられた大阪の学塾の伝統を受け継ぎ、「大阪の足跡」のコンセプトにして、大阪があゆんできた道を、「光と影」、「栄光と挫折」の両面から振り返る「新なにわ塾叢書」(全7巻)の刊行を開始。内容はサブカル、建築、水運、鉄道、映画、マンガ、学校などの分野にわたる。第1巻は、サブカルをテーマとした「『プガジャ』の時代」。著者は、村上知彦、春岡勇二、小堀純などプガジャの歴代編集長・編集者6名。第6巻は、マンガをテーマとした「再び大阪が まんが大国に甦る日」(2014年に発行)。著者は、辰巳ヨシヒロ、松本正彦、花村えい子、ビッグ錠、村上知彦など漫画家・マンガ評論家12名。
2009年(平成21年)
後藤正治「後藤正治ノンフィクション集」(全10巻、文庫本)の刊行を開始。同年、『阪神球団』『甲子園球場』全面協力の阪神タイガース承認本、妹尾豊孝「もうひとつの阪神タイガース」(写真集)、東京都写真美術館主催の「日本の新進作家展vol.8 出発」・パリ─ポルトガル─メキシコ巡回展 VOYAGE Contemporary Japanese Photography招待作品を中心とした写真集、百々武「島の力」を発行。
2010年(平成22年)
太田順一「父の日記」(写真集)を発行。第三四回伊奈信男賞受賞作品「父の日記」を「ひがた記」と併せて収録。
2012年(平成24 年)
福岡道雄「つくらない彫刻家」(エッセー)を発行。
2013年(平成25年)
環境・人権・アート中心の書籍出版、発行点数520点。マガジンバックナンバー480号。同年、新宮晋 著「ぼくの頭の中」(絵コンテ・写真・設計図・エッセー。全文和英併記、新宮晋手書き)を発行。同年、太田順一「写真家 井上青龍の時代」(ノンフィクション)を発行。
2015年(平成27年)
被爆70年、震災20年。三田村陽「hiroshima element」(写真集)、太田順一「無常の菅原商店街」(写真集)を発行。
2018年(平成30年)
釡ヶ崎炊き出しの会・編著「釜ヶ崎合唱団」を発行。釡ヶ崎に暮らす労働者の方々や関係する方々を毎回一人取り上げて、ご本人に語っていただく絆通信の人気コーナー「こんにちは、がんばってます!」を過去にさかのぼり、70名の仲間たちの記録と読者からのお便りなどを掲載。
2021年(令和3年)
後藤正治「拠るべなき時代に」(最新エッセイ集、単行本)を発行。
2022年(令和4年)
ドキュメンタリー映画界の巨匠・小川紳介の「幻の小川紳介ノート」を発売。小川監督の妻であり同志でもあった小川(旧姓・白石)洋子さんが『牧野物語・養蚕編』(77年)を中心に“喋り書き”した原稿を加え、小川監督とゆかりの深かった山根貞男・蓮實重彦・上野昻志・伏屋博雄・安井喜雄・矢野和之氏らの寄稿を得て、小川監督作品を上映してきた大阪のミニシアター「シネ・ヌーヴォ」代表の景山理が編んだのが本書である。